ピマーイ探険記(6)by チャーリー岸田
キャバレー そしてその夜、我々一行はコラート市内のキャバレーに出掛けた。 『キャバレー』と言うと日本では風俗店のイメージが強いが、実は「キャバレー」とは、ステージのショーを観ながら飲み食いできる店のことである。昔のアメリカのギャング映画に出て来るような店である。
この店でも、歌手が歌ったりバンドが演奏したりして、それを観ながら客は食事する訳だ。 テーブル中央の金属の器に入っているのがトムヤンクン。海老を主体としたスープだが、具の中には出汁を取るためだけの食べられない具材や、やたらと辛過ぎる具材なども入っている。おまけにキャバレーは照明が暗いので(この写真はカメラのストロボで明るくなっているだけ)、鍋に何が入っているのか全く判らない。まさに闇鍋である。 このような場合、タイ人はスープだけ飲んで具には手を付けないのだが、『おしん』の国から来た我々には、どうしても食べ物が残せない。 東南アジアの人々は、地面から勝手に米が湧いて来て(年に何回も)、空からは勝手に果物が降って来て(本当に降って来るのだ)、川や海からは勝手に魚が湧いて来る豊穣の土地に長年住んでいるため、『食べ物を粗末にしたらバチが当たる』と言う文化が全くない。食べたいものだけを食べて、後は残せば良いのだ。 しかし、少々の天候不良があれば大飢饉が発生し多くの餓死者が出る歴史を持った日本人や欧米人には、『食べ物を粗末に扱う』と言うことができない。日本や欧米の歴史は飢えとの戦いの歴史であり、それが我々の文化となっている。
これがこの旅の苦難の始まりであった。その後この二人は胃腸薬の離せない旅を続けることになる。 ところでこの連中、いつになったら遺跡を観に行くのだろう。毎晩街中で飲んだ暮れているだけではないか? つづく |