タイ料理解説
by チャーリー岸田
その1「ナンプラー」
初めてKing'sCupに参加される方に、タイ料理についての解説を致します。
タイ料理と言えば、「辛い」、「エキセントリックなエスニック料理」と、思い込んでいる人が多いようです。確かにタイ料理の中には唐辛子を大量に使った辛いものもあります。しかし、基本的にはタイも日本も同じ水田稲作文化圏の国。それほど大きな違いはありません。いやむしろ、タイ料理は日本人に馴染みやすい味なのです。
タイ料理を語る上で重要なものに「ナンプラー」があります。これは日本語で言うと「魚醤」。つまり魚で作った醤油です。
魚醤は東アジアから東南アジアで広く使われている調味料です。ベトナムでは「ニョクマム」、フィリピンでは「パテース」、マレーシアでは「ブードゥ」と呼ばれ、アジアの各地で使われていますが、実はその昔、我々日本人の先祖も、これと同じ魚醤を使っていました。弥生時代や古墳時代の陶器のかけらから魚醤の成分が発見されているのです。
その後日本では、遥かに時代が下って江戸時代に入ってから、大豆などの穀物から醤油が作られるようになったのですが、実は魚醤の方が歴史が古いのです。
食材を発酵させて保存食を作る文化は世界のあらゆる地方に存在します。そして魚は内臓に発酵しやすい成分が含まれているため、魚から醤油を作るのは簡単なのです。それに比べて穀物から醤油を作る場合は、穀物だけでは発酵し難いので麹などの発酵を促す物質を使わなければなりません。穀物から醤油を作るのは、このような高度な技術を必要とするため、技術の発達した中世以降にならなければ作ることができなかったのです。
そして日本では、穀物から作る醤油が魚醤に取って替わりましたが、これは日本人の嗜好の問題と言うよりも、むしろ生産性の問題です。材料を安定的に確保し、均質な製品を大量に作るためには、魚よりも穀物の方が都合が良かったのです。
ここまでが醤油の歴史。そしてここからが岸田の考察になります。
我々の先祖が、魚醤を止めて穀物で作る醤油を使い始めたとき、そのときの人々は新しいタイプの醤油をどう思ったのでしょうか?
長年魚の味に馴染んで来た民族が、魚の香りのしない醤油で満足できたのでしょうか?
おそらく魚味の出汁がないと物足りないと思った人々が、ほうれん草に醤油とカツオ節を載せるようになったのではないかと思うのです。
カツオ節や煮干など、魚を使った出汁は日本料理に欠かせないものです。そしてカツオ節や煮干と醤油が一体になったものが、タイのナンプラーであると考えれば、我々がタイ料理を食べたときに感じる親近感の説明になると思います。
プーケットに行ったとき、ホテルの朝食で、山ほど並んだタイ料理に目もくれず、コーンフレークにミルクを掛けている欧米人を見掛けると思います。この人たちは、「タイ料理は魚臭い」と感じて食べられないのです。しかし我々にはそんな心配はありません。タイ料理の食べられない欧米人は、日本の海苔やカツオ節も苦手です。つまり加工した魚介類の風味が苦手なのです。
日本人の中にも、おそらく少数派でしょうが、海苔やカツオ節が苦手な人が居るかも知れません。そう言う人はタイ料理も難しいと考えられます。逆に言えば、普通の日本料理が食べられる人であれば、タイ料理も何ら問題ありません。却ってタイ料理の味にハマるでしょう。科学的に見ても、穀物の醤油に比べて魚醤の方がグルタミン酸などの「うまみ」の成分が多く、「美味い」と感じる根拠があります。
なお、「日本の醤油の原料は、魚から穀物に替わった」と述べましたが、実は今でも日本固有の魚醤も残っています。秋田の「しょっつる」(原料:ハタハタ)、香川の「いかなご醤油」(原料:イカナゴ)、能登の「いしる」(原料:イカ)などがその代表的な存在で、いずれも現地特産の魚を使った高級醤油とされています。
つづく
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