奄美の少年by チャーリー岸田
鹿児島在住のヨット乞食からメイルが入った。その内容は、 「奄美大島にクルージングに行ったときに知り合った、現地人の家族連れをスキーに連れて行くことになった。彼らは家族全員、生まれてから今まで雪を見たことがない。そんな連中を一人で面倒見るのは大変なので、一緒に来てスキーのコーチをするように。報酬としては、この家族と知合いになっておけば、奄美大島に旅行したときにただで家に泊まれること。以上。」そんなわけで、今年の正月は奄美大島の家族連れのスキーのコーチをすることになってしまった。選択肢は他にない。何故ならば、 「お袋さんは小さな美容院を経営しながら、女手一つで3人の子供たちを育てている。そして今年雪を見るために一生懸命貯金して来た。」こんな話を聞いて、「俺は子守りは苦手なんだ。他を当ってくれよ。」 なんて言えるほど岸田はクールなやつじゃない。 集合は上野駅。奄美大島からやって来たファミリーは、長男(高一)、次男(小六)、三男(小三)、そしてこの3兄弟のおっかさん(40代)。詳しい事情は知らないが、お父さんはいないらしい。
「これって、上に乗っても大丈夫かね?」彼らは大喜びで氷を割り始めた。南の島の住人には、こんなことが画期的な体験であるらしい。また困ったことに、彼らには「ここで服や靴を濡らしてしまったら、後で困る。」と言った発想が全くない。寒い思いをしたことが全くないようだ。 小学生の弟たちだけでなく、高校生の長男までもが子供のようにはしゃいでいた。都会の高校生のように擦れていないところが面白い。 しかし、ここで異様だったのは、キャーキャー奇声を発してはしゃいでいるのが子供たちだけではなかったこと。40代の母親までもが子供のようにはしゃいでいるのだ。 どこかで見たことがある、この雰囲気。そうだ、東南アジアの連中と同じだ。熱い国では子供が大人にならなくても生きて行ける。この家族は東南アジアの乗りで生きているんだ。同じ日本語を話す日本人でも、本州と南の島ではメンタリティに大きな差があるらしい。 スキー場に着いて、まず大変だったのが着替え。なにしろ奄美大島では「真冬の一番寒い季節でもスウェットシャツ1枚で十分。それ以外の季節はTシャツ1枚。」と言う服装だけで生きている連中だ。2枚以上の服を重ねて着た経験がない。もちろんスキーウェアは、岸田と友人、およびその知合いから掻き集めた古着。
そもそも彼らは、当然のことながら雪に触ったことがない。雪景色は写真で見たことがあるけれど、雪がどのような手触りなのか? 今まで全く想像できなかったのだ。
家族4人は一向に疲れを見せない。このままだと永遠に終りそうも無いが、付きっ切りでコーチしているこちらはたまらない。岸田と友人は、彼らに「スキー場にはナイター設備があって、夜でも滑れる。」と言う事実を隠しておいた。これがばれたら夜中まで付き合わされるところだ。 夜は知合いの別荘に宿泊。初心者の彼らは初めてのスキーで疲れているはずなのだが、全くテンションが落ちない。軒先に並んだ氷柱を見て大喜び。家の周りを走り回って全部のツララを集めて回る。また、ドンブリに雪をすくって来ては「かき氷だあ!」。部屋の中では初めて見る薪ストーブに夢中になり、やたらと薪をくべたがる。
翌朝、子供たちの騒ぎ声で目が覚めた。まだ早朝と言うのに子供たちは既に外で遊びまくっている。岸田は窓から顔を出した。 「何やってるんだ?」しかし、彼らは雪だるまの作り方を知らない。粉雪を掻き集めて固体化しようとしているのだが、全然形にならない。 「そうじゃねえよ。まず最初に小さいボールを作って転がして行くんだ。」結局岸田までもが、朝飯前から雪だるま作製に参加させられる破目になってしまった。 そして、この休み無しのハイテンション状態は、最後まで続くことになる。 2日目は子供たち3人揃って見る見る上達。大したもんだ。全く休憩なしで一日中滑りまくっている。 「スキーは楽しいか?」ああ恥ずかしい。まるで長渕剛みたいに臭い台詞で人生を語ってしまった。まずいっ! 「今は未だ人生を語らず」by吉田拓郎。で行きたい。 子供たちはびっくりするくらいに上達したが、問題はお袋さん。さすがに40代で初めてのスキーは難しいようだ。しかし、このおっかさんも元気だった。一日に何十回も転んで一番疲れているはずなのに、全然疲れを見せない。
帰りの新幹線の中でもテンションは一向に落ちない。俺たちは疲れがピークに達し、目が霞み始めて来たが、最後までトランプ遊びに付き合わされた。
「小遣い貯めてまた来いよ。無駄遣いするんじゃねえぞ。また教えてやるからな。」ようし、今年の夏は奄美大島で大暴れだ。しかしこの連中と付き合うには体力が要るぞ。先に寝たりしたら、また布団蒸しの刑が待っているから。 終り <あとがき>
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