哀愁の蔵王

by チャーリー岸田

 車は人間を駄目にする。車を使う生活を続けていると、少しの距離でも歩くことが面倒になり、殆ど歩かない生活が当たり前になって来る。慢性的な渋滞と駐車場不足の都会の人間は、電車を使用することが多いため、それほど重症では無いが、地方都市に行けば歩くことを忘れてしまった人間が沢山いる。歩くことは人間の身体を維持するために一番重要で基本的なものであるのに。
また車の弊害は荷物が増えてしまうことだ。歩いて出掛ける場合は極力荷物を軽くしようと心がけるものだが、車の場合はだらしなく荷物が増えてしまう。
2、3日着替えなくたって別に問題はないのだが、毎日着替えた方が快適だ。そんなわけで、着替えも山ほど積んで出掛けることになってしまう。
どのような場合も、基本は自分の手で持って歩ける範囲の荷物にまとめることだ。この原則を忘れてはいけない。

 若い連中にスキーに誘われた。ボーダーの岸田としては断る理由もなく、張切って出発した。
どうせあの連中の計画だから、タオルも歯ブラシも無いような安宿に決っている。また、近くで煙草も買えないような辺鄙な場所であることも考えられる。対策は万全。物資の準備は怠りなかった。
岸田が20代の頃は、13万4千円の初任給で1リッター当り148円もするガソリンを消費して、金も無く物価も高い時代に苗場プリンスホテルだとかやたらと高い宿にばかり泊まっていた。当時はそんな背伸びをして無駄金を使うことが流行だったのだろう。
しかし最近の20代の連中は、昔よりも収入は多く物価も下がっていると言うのに無駄使いをしたがらない。スキー/スノボさえできれば、宿なんて何でも良いと思っている。欧米人の感覚に近づいているのだろうか?

その宿はゲレンデの上にあった。山の上のゲレンデのレストハウスのようなロケーションの中に建っていた。麓の駐車場から荷物と板を担いでゴンドラに乗り、そこからまたゲレンデをしばらく歩かなくてはならない。
ゲッ! 荷物を減らして来るんだった。しかしこのときはまだ余裕があった。自分の荷物の他に女の子の板やブーツまで持って宿に辿り着いた。
(歳は食ってても並の中年とは鍛え方が違うぜ。)

それから3日間、朝の8時からナイター終了までひたすら滑り続けた。オジン組はナイターをパスして宴会モードに入っていたが、岸田はまだそちらのグループに入るわけには行かない。気持ちと身体は20代だ。
2日目の朝、若僧どもは筋肉痛を訴え始めた。わはははは、若僧め。中年の筋肉痛は3日遅れてやって来るんだ。だから今日は何でもないんだ。わっはっは。

3日目、帰りの時刻になってもまだ滑り足りない。帰りはゴンドラに乗らずに、荷物を担いで麓の駐車場まで滑って行こうと言う話になった。そりゃあ良い案だ。俺ももっと滑っていたい。
宿の前でボードを履き、荷物を背負うと・・・
・・・立ち上れない。足に力が入らなくなっている。

「岸田さん大丈夫ですか?」
「へへーん。どうってことねえよ。」
油汗を流しながら、なんとか人に捉まって立ち上り滑り始めたものの、足元がよろけてしまい少し滑るとまた転んでしまう。
「荷物を持ってあげましょうか?」
「大丈夫だっ!」
何があろうと自分の荷物は自分で持つのが基本だ。人に持ってもらうような奴は一人前の男ではない。ここは意地でも自分の力でなんとかしなければならない。

また少し滑って転んだときに、後からやって来た若僧の一人が岸田の荷物を取り上げた。

「よせっ! そいつは俺が担いで行くんだっ」
「岸田さんを待ってると帰りが遅くなっちゃうんですよ。いいからそのまま滑って来て下さい。」
そいつは自分の荷物と岸田の荷物を担いだまま、どんどん先に行ってしまう。
「ま・待てーーーっ!」
女の子たちも皆んな荷物を担いで滑って行くのに、岸田だけが手ぶらで行くなんてことは、いくらなんでも面目丸潰れだ。
しかし結局、麓の駐車場まで奴に追いつけなかった。なんてこった。
帰りの車の中で聞いた『中島みゆき』がやけに心に染みた。


以 上

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