韓国料理

by  チャーリー岸田 & ARISTOCRAZY      

 TEAM JUST WINでアリランレースに行ってきました。そこで出会った韓国料理についてチャーリー岸田氏が解説してくれました。それを受けて、謎の人物ARISTOCRAZY氏のウンチク話に続きます。
 

今回はちょっと違うぞ



[岸田]

 ■焼肉
 

釜山に入港したその日、松嶋君の手配したリムジンバスで焼肉屋に直行。
うまく説明できないが、味付けが日本の焼肉屋のものとは全然違う。誰か料理に詳しい人、解説してくれい。
料理などに疎い岸田でも解ったのは、やたらめったらニンニクが使われていること。全く遠慮なしに、暴力的な量のニンニク漬け。
この店に行ってからは、それまで気になっていた町の匂いが全然気にならなくなった。これで俺たちも晴れて[ニンニクキムチ・ワールド]の住人になったようだ。

■パーティー
 

釜山で行われたパーティーは、さすがに大手スポンサーが付いているだけあって、食べ物の量には不自由しなかった。
しかしその内容は、日本のホテルと同じような一般的なパーティー料理。あまり韓国料理がなかったのが残念。
ここで一番美味かったのが、日本風の寿司。
ワサビは安っぽい粉ワサビを使っていたようだし、米も日本の米と味が違うような気がしたけど、ネタはやたらと新鮮。さすがは港町だ。

■キムチ
 

釜山のパーティー料理で唯一の韓国料理と言えるものがキムチ。
現地の人は「これはなかなか素晴らしいキムチだ。」と言って感激していたのだけど、どうも日本人にはその違いが解らない。日本のスーパーで売っているキムチ全く同じように思えるのだが、微妙な違いがあるらしい。
ところでそのパーティーに出席していた韓国女性が、自分の箸で食べ物をつまんで色々食べさせてくれるのだが、岸田としてはまどろっこしくて仕方がない。メシくらい自分の手を使って食べたいと思うのだが、これが韓国式のサービスらしい。おまけに言葉が通じないので断ることができない。
旅行ガイドブックには簡単な韓国語会話が載っているのだが、下記のフレーズも載せておくべきだと思う。

  「もう、おなかがいっぱいです。」
  「そんなに沢山食べられません。」
この言葉さえ知っていたら、正井親分もフラフラにならずに済んだのにねえ。ちょっと違うか。



[ARISTOCRAZY]

■焼肉  プルゴギ
 

遠い昔、仕事で韓国へ行った。飛行機を降りて空港のリムジンバスに乗った。ムウウウウウ〜〜このむせかえる臭気!!!!!なんとかせねば!
食堂へ地元の人と行った。出てくる、出てくる、てんこ盛りの生ニンニク、キムチ、くっちゃえ。郷にいれば郷に従え、その後は岸田先生と同じく[この店に行ってからは、それまで気になっていた町の匂いが全然気にならなくなった。これで俺たちも晴れて[ニンニクキムチ・ワールド]の住人になったようだ。]
しかし帰国して妻が別室で寝るようになった。思えば、あれがきっかけか? 反省!
  
ARISTOCRAZYはその後、免税店で、内国人と間違われ、追い出されそうになった。出国審査時もそうだった。 臭いで判別?
しかし、こんな事で、怒るような、ARIちゃんでは無い。この手の権力を振るえる人間はそれが生きがいなのだから、こんな時は、本当に海老の踊りのように活き活きしている。本当に幸せそうな気分でわいの、ぐわいの、分からん言葉で、喚いている、せっかくだからもう少し仕事の生きがいを味あわせてあげよう。この優しさと思いやり、  でも限度があるのです。

『こらっ! てめぇーだれ に向かって、わいわいゆーとんじゃい!』
あの濱ちゃんも、真っ青になる本場の言葉!!
やはり、そうだったのかと納得してるのはどこのもんじゃ! どついたろか![おーこわー!]でも心の中でそう叫んでも 決して、表には出さないARIなのです。
水戸黄門ごっこが出来るのです。 幸せ!このパスポートが目に入らぬか? ええい、頭が高い下がれ下がれ 
『 失礼ちまちた!』
わっはっは! 独裁者が居たころの話です。

■キムチ
 

 キムチ、ニンニクについての独断と偏見!
あの風土、冬の寒さ、ソウルの冬は零下15度くらいになる、道端の雪か氷は岩石のようだ。その季節が続くとき、食べ物を保存する知恵のキムチ、暖かくなった時の殺菌の為のニンニクだと思う。
 10月にはキムチ休日が有り、その日は白菜がガレージ等に山積みにされ次から次へと壷へ詰められる。この壷は一つ一つ塩、唐辛子?加減が異なるのだ。何故かというと、保存食料なので保存期間に合わせて、塩加減が違うのだ。昔はその壷を庭に順番に埋めて先に食べるのと、後で食べるのとを区別して開封したのだ。勿論、腐らせないようにする配慮だ。また各家庭の伝統により
 中身、味付けは、それぞれ違う、最高に美味だったのは、次の項で食べた、ボタンの花のつぼみみたいなキムチで、開くと満開になり、鹿肉なんかが入っていて本当においしかった。
 ニンニクはそれ自体強烈な殺菌作用があり少々素材が傷んでいても、ケンチャナヨ!気にしない!、気にしないと混ぜて食えば大丈夫、これは中華料理にもいえる。
 中華料理は保存、流通、量に問題が有ったのであのようになんでも火を強烈に通すのだ。これで少々腐りかけていても、新鮮でうようよの寄生虫もばい菌もいちころだ。

 ここでついでに餃子の話をしておこう。
日本の一般的な餃子は中国では餃子とは呼ばない。 鍋貼と言う。発音はGAWJYANGコウシャンに近いと思う。文字通り鍋に貼り付けて焼くからだ。 餃子とは蒸し餃子、水餃子の事だ。
 滅多に鍋貼(燒餃子)は無い。それは何故か? 中国ではお正月やめでたい時に餃子をたくさん作る。食べ切れないほど作る。
 そして食べ切れなかった餃子が残る。勿体ないから後日それも食べる、しかし日を置いた食べ物は安全では無い。そこで残り物を焼いて調理する。少し安全だ。 焼き餃子は残り物なのだ。
 決して客人に出す物ではない。失礼にあたる。だが、何故日本では、焼餃子が広まったのか?ここから、たいがいの中国人は喜ぶ話だ!命からがら、日本目指して食糧も少なく逃げるように、引き揚げて来た。その時に親切な中国人が、残り物で焼き餃子を御馳走してくれた。戦争が終わってあちこちでそのお祝いに餃子をたくさん作ったのに違いない。
 そして、あちこちで可哀想な日本人は御馳走してもらったのに 違いない。 その時食べたあのおいしさ!そして日本では、焼餃子が主流になった。

■ 妓生パーティー
 

 ARISTCRAZYは知り合いのカジノの経営者の自宅で行われた新年パーティーに、招待されたことがあった。 敬虔なクリスチャンでそのマンションは百坪 もあるとの事だった。すごい美人の若奥さんと上品な白髪の婦人が仲良くおられた。 親子?と思ったが、二人共彼の奥さんだった。パーティが始まると彼の指示で若奥さんと、新婚ホヤホヤの幹部の新妻が私の両側へ立て膝ですわった。かなり美人の人妻二人が、夫の目の前で私に尽くしてくれるのだ。
 これぞ本物の妓生だ! 宮廷の客人に対する一番のもてなしは自分の一番大切な女性を客人に提供するのだ。儒教の道徳観か、彼女たちは当たり前の事をしている感覚だし、主人の方も平然としている。 なんと素晴らしい、優しさのある文化なのだ。
 こんな人達を昔、むちゃくちゃにした隣の島国の人間を疎ましく思った。
 残念ながら、これは現代の事なので朝までは続かなかった。
その昔、慶州に都があった頃、宮廷には、塀も堀も 無かった。 無防備の宮廷で敵が攻めれば簡単に滅ぼされたらしい。遠来の客人に対してこの様に自分の寝室まで提供したらしい。この文化を簡単に破壊されても、平然としている優しさのある人達のように思えた。
 この国の人達の不幸な時代に島国に無理やり運ばれた人達は、最初は、世間で無用の人物が騙されたり、牢屋に入れられたりしていた人間が強制的に過酷な条件で働かされたので島国の住人に対する恨みや敵意は相当なものだった筈だ。逆の立場なら、数名を選んでよその国へ徴用させるなら、まず刑務所の服役囚、その次、住所不定のホームレス、そのつぎ馬鹿男、リストラと同じだ、あんな奴いなくなって幸いだ。万歳! 受け入れ側は大変だ!悪い奴ばかり、[ここで悪い奴ばかりでは無かった事をはっきり明言せねばならぬ、悪代官ばかりでは無いのだ!大岡越前みたいな人もおられたのだ。自分の優秀な息子を提供された悲劇もあるのだ!] 現在、のほほんとしていて、欲しい不要な高価な物が買えなくて不幸だと信じている者にこのような体験をさせてやりたい。

 島国の住人達は、このような人達に接して人種に偏見を持つようになってしまったのだ。優しいいい人はどこにでもいるように、悪い、阿呆や、粗野な人間や、馬鹿男はどこにもいるのだ。 ある一面だけで判断を誤ればぎくしゃくが永遠に続く。
そして、富める国、外貨を稼ぎたい国の交流が始まった。 てっとりばやいのが、民間交流に名を借りた、皆さんよくご存じのツアーだ。
 ARISTOCRAZYは昔こんな経験をした。戒厳令が実施されていた頃だ。出張要請が「年末に来韓されたし」だ。 おいおい皆さん正月も休まないで仕事するのかいな、凄い馬力だな!でも
 少し変だ!もしあっちこっち休日で閉店ならどうしょう!そして、当方も年末は仕事が忙しく、年明けにしてくれるよう要請した。
 年明けに行って、びっくり!何も無い!
騙された。仕事が出来ないのだ。明日機器が着く!来ない!また明日着く!来ない!またまた明日着く!来るのは夜ドアをノックするボーイかその手の女だけ!その手にのるARIではないわいな!これは政府ぐるみのてっとりばやい外貨稼ぎだ!本当に涙ぐましい努力だ!そして明日着いていなければ運転手と案内役と車を貸せ!運よく着いていなかった。そしてその日、シーズンオフの慶州をまる一日堪能した。すばらしかった。契約は仕事単位で経費は当方負担で長引くとこちらは、損をする。相当着工が遅れたので3日位徹夜して、予定通り帰ってやった。
出稼ぎも大変だ。
 

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