川下良二の海外事情(3)
by 川下良二


その3 米国ミシガン編


これは実話です。フィクションではありません。

96年の米国ミシガン州の話。小職は米国出張中。デトロイトからシカゴ方面へ、車2台でフリーウエイを西走しておりました。一台に日本人の同僚と小職。もう一台は米国在住の日本人Aさんでした。あまりの長い行程に前を走るAさんは、尿意をもようしたようで、EXITを降りました。 我々もそれに続きました。車を止めたところは、ガススタンドの廃墟で、全員で用足しをしました。(本当は軽犯罪)

ここで、あるハプニングがおきました。
さあ、目的地まで一時間と、再度車に乗り込んだとき、Aさんが叫びました。

「ドアロックした。」
なんだなんだ、と自分たちの車を降りると、Aさんはカギをかけたまま、車の外に出た模様。
スペアーキーもないようで、厄介な状況に陥りました。

AAA(日本のJAFと同じ)に連絡を試みましたが、携帯電話ではつながりません。(それほど田舎)
あまり車の通る道路でもなさそうで、助けも呼べず、立ちすくんでおりました。
反面、日没まで時間があり、最悪の場合、窓ガラスを叩き割るしかないと思っておりました。

30分ほど待ったでしょうか、一台の車がやってきました。なんとなく救急車に似た形で、ボデイに、POLICEと書いてあるではないですか。
これは、ラッキー、助けが呼べる。車からおもむろに降りてきた警察官は、お腹がデップリ出たビリーバリー(ビールの飲み過ぎオヤジ)でしたが、曰く、 (一応英語です)

「どうした?」
「車が一台ドアロックしちゃいまして、助けを呼びたいんですが、」
「OKそれなら、近くの村から呼んでやるよ。」
といいながら、無線機で交信を始めたのです。感謝。感謝。

突然、見えない荷台の中から、叫び声が聞こえ、警官と話を始めました。会話はほとんどわかりません。
気付きませんでしたが、警官の車の荷台の小さな窓には、鉄格子がはまっており、妙な車です。これはひょっとして護送車?

それは当たりで、警官が最後にOKと言うと、後ろに回りドアをあけました。
手錠をした囚人2名が後ろのドアから降りてきました。ヒスパニック系、とアジア人でした。
二人とも「ハイ」と我々に挨拶するではないですか。驚き!!。
警官曰く。

「こいつらは二人は車の窃盗犯で、護送中なんだが、あんた達を助けたいと言っている。どうする?」
あまりの予想外のオファーに面食らいまして、二の次がでません。一呼吸おいて、状況に押されるされるかのように、YESと言ってしまいました。

警官が手錠をはずし、二人はAさんの車に近づきました。我々の状況をどう助けるのか皆目検討がつきません。ここからが、すごい話です。

アジア系は、おもむろに警察車両のラジオアンテナを外しました。(アメ車は、簡単にアンテナが外れます。)それから、ヒスパニック系がAさんの車のドアとドアガラスの隙間に手をかけました。
「せーの」とは言いませんでしたが、2名が呼吸をぴったり合わせ、ヒスパニック系が、おもいっきりドアを引っ張り、大きく開いた隙間に、アジア系がさきほどのアンテナを差し込み、ごしごししごきはじめました。そうしたら、あら不思議、ものの5秒もかからず、ドアロックは外れてしまいました。

プロの車泥棒のテクニックを眼の辺りにし唖然とし、我々の状況を救ってくれた救世主に思わず、万歳をしてしまいました。その状況を感じたのか、囚人2名は、屈託のない笑顔で応え、我々は、Thank Youを連発し、握手を求めました。
反面、警官、一般人にワザを披露してしまったことに関し、なんとなく気まずい雰囲気もありました。

我々はどうしたら良いかわからなかったのですが、とりあえず警官の許可を得、チップを10ドルずつあげました。彼らが、お金を使える状況にあるのかもわかりませんが、曰く「タバコを買うよ」と言ってくれました。
長居は無用。彼らは、また手錠につながれ、護送車に乗りこみました。最後に車を発車させようとする警官に、ナイスなアレンジに感謝しました。そして彼らは去っていきました。

後で聞いたのですが、囚人が人助けをした場合、情状酌量の余地ありとなり、罪が軽くなるそうです。この場合は警官が承認です。さすがアメリカ。日本ではまず考えられないことです。 
また警官は、もちろん拳銃を吊っており、何か起こった場合、すぐ引き金を引くとのことです。

突然のハプニングにアメリカ、アメリカとつぶやきました。
我々は行程を急ぎ、シカゴ方面に向かいました。

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