by 川下良二
その7 インドネシア激闘編(後編)
インドネシアのテレビ映像などは、ほとんど見かけません。バリ島の観光案内くらいです。
1997年5月あれから1年経ちました。仕事も順調に推移してきました。合弁事業として、タイに2件、インドネシアに1件掛け持ちしていた為、頻繁に日本との間を往復しておりました。
連休明け、4人の調査チームをアテンドすることになりジャカルタ入りしました。そのころ国会議員選挙で、選挙運動が活発に行われていました。スハルト大統領引き入る国民党が圧勝することは目にみえておりましたが、実態はかなり緊迫した情勢でした。選挙運動といっても選挙要員はすべて雇われ身で、あまり政治意識の高くない連中です。
高速道路ですれ違う彼らの姿は異様で、他候補を見つけるとそのまま暴力行為に走ります。
ある日、我がチームは、ホテルでチャターしたボルボセダン2台に分乗し、ジャカルタ市外で調査を行っていました。
これはまずい!!
判断に躊躇している間に、群集の一部が我々の車のボンネントをたたき始めました。車をひっくりかえされたら一大事です。
このような状況に陥ったことはかつてありません。思いあまった一瞬、ダッシュボードを両手の平で叩き、叫びました。 「JARAN!!」 ネシア語でGO!!です。アドレナリンが沸騰します。すなわち人をなぎ倒し進めです。そこで、運転手も力いっぱいクラクションを鳴らし、アクセルを踏み込みました。 一瞬前方の群集がひるみ、避けた為に隙間ができました。うまい具合に急発進させましたが、ボコンとうい音もしました。多分人にあたったと思われます。そんなことかまっておられません。アテンドしている4名の安全が最優先です。 その交差点を蛇行しながらすり抜け、民家の路地へ逃げ込みました。 その後、どこをどう走ったか覚えていません。後続車ともはぐれてしまいました。
なんとか、1時間後ジャカルタ市内のホテルへたどり着きました。後続車も遅れること5分戻ってきました。やれやれです。あのまま動かなかったら、どうなっていたのでしょう。引きずり出されててなぶり殺しにあったのでしょうか?それとも安全に退避できたのでしょうか?判りません。
「とりあえず、よかった。」と思ったのですが、日本から初めてジャカルタ入りした4名の顔を見ると、顔面蒼白、 あまり言葉も発することもできなかったようです。
その後、アジア通貨危機の中、結局スハルト政権は倒れ、全土にわたる暴動が発生したことは、皆さんご存知の通りです。
終わり
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