初午はだかまつり
by チャーリー岸田


 飯田市時又は、南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那谷の一番底にある天竜川流域の町。
毎年旧正月を過ぎる頃、町を囲む山々から大量の雪解け水が流れ出し、天竜川の水位が上がる。
そして毎年旧暦初午の日に、この豊穣な水を称える『初午はだかまつり』が行われる。
これは室町時代から行われている行事で、数え年の二十歳から厄年までの男が、はだかで神輿を担いで川の中をねり歩くクレイジーな祭だ。
 この時期の雪解け水は、真冬よりも水温が低い。同じ時期の海に比べれば10℃は低いだろう。限りなく0℃に近い温度だ。
しかしこの町では、この水に裸で浸かれない男は一人前と見なされない。まるでアフリカ原住民の通過儀礼のようなものだ。
しかし現代では、当然このような辛いイベントは廃れつつあり、都会に出て行った若者は、祭の日には帰省したがらない。
 ところが稀に、この町の出身者でも何でもないのに、この祭に参加したがる気の触れた男も居る。岸田もその一人だ。

 祭当日の朝、岸田は窓の外を見て、祭に参加表明したことを後悔した。あたり一面の雪景色だったのだ。
予報では午後から晴れるとのことだが、寒いことには変わりはない。
しかしいまさら後へは引けない。
 控室に集合した参加者は、パンツと晒、足袋にタスキだけの祭装束に着替え、酒を食らって気勢を上げる。この寒さでは、とても素面では居られない。
そしてお寺の前に整列し、坊さんのお経を聞く。神社ではなくてお寺というところがいかにも長野だ。
お経が終わると神輿を担いで町をねり歩く。
道の両側には、手桶とヒシャクを持った見物人が並ぶ。

「あれっ?この人たちは、祭の日に皆んなでお墓参りに行くのかな?」
ところがそうではない。見物人は神輿を担いだ俺たちに水を掛けはじめた。
「わっ!わっ!わっ!止めてくれ! 寒いじゃないかあ!」
心で思っても口には出せない。それが粋と言うものだ。俺たちは、「へへーん、寒くも何ともないぜ!」と言った顔をして前へと進む。
 この町の言い伝えでは、参加者に天竜川の水を掛けると御利益があるのだそうだ。
自分達は暖かい服装で裸の人間に水を掛けて、それで御利益があるなんて、非常にズルい。
また、祭に参加する年齢を過ぎたジジイたちは、夏祭みたいなばかでかいウチワを持って俺たちを扇ぐ。これがまた寒いが、これもまた平然と受け流して前へと進む。
 そしてメインイベントが行われる河原に到着。河原に並んだ太鼓の音が緊張感を盛り上げる。
そして神輿は一基づつ、気勢を上げて川になだれ込む。
ひぇ〜っ!冷たいなんてもんじゃない。ただただ痛い。
数秒で冷たさの感覚は無くなり、痺れたような痛さが全身を包む。
しばらく神輿は川の中をねり歩いた後、河原に上がる。
「あれっ?もう終わりか。やれやれ。」
ところがそうではなかった。
河原に整列した神輿は、隊列を整え直すと、再び川に向かう。これを何回も繰り返す。
川に入ったことのない見物人は、こう思うかも知れない。
「そうか、長時間川に浸かっていたら寒過ぎるから、何回にも分けて入水するんだな。」
しかし、ウォータースポーツの経験者であれば容易に判ることだが、この「入ったり出たり」の繰返しが一番辛い。
祭の大将は、ずっと川の中に入ったまま江戸火消しみたいな指揮棒を振っているが、彼が一番楽そうだ。
どうしてわざわざこんな辛い方法を採るんだ?
そりゃ祭だからだ。
 岸田は途中で気が遠くなり、挫けそうになったが、隣の男が俺を救った。
隣の男は完璧にグロッキー。「あああ〜、もう駄目だ。」を繰返し、今にも倒れそうだった。
それを見ていると、岸田の心に元気が沸いた。
「へへーん。俺は大丈夫だぜい!」
どうやら俺は、他人の不幸を糧にして生きる人間のようだ。
そして最後に、全部の神輿が一斉に川に入り、お互いに水を掛け合う。
もうこうなれば破れかぶれだ。寒さなどはどこかに行ってしまった。
その後神輿はお寺までもどり、坊さんのお経でフィナーレ。
この祭に参加した人は、一年間絶対に風邪を引かないと言われているそうだ。本当かよ?

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