ある老夫婦の海外事情
by チャーリー岸田
K夫妻は海外旅行が初めてだった。
旦那のK氏は戦時中、軍隊の物資補給のために貨物船で旅順/大連に行ったことがあるが、これは現代の海外旅行の参考にはならない。
妻のK夫人は全く日本から出た経験がない。
この二人が娘の住むアメリカに出掛けることになった。
アメリカのケネディ空港では娘が待っているため、とりあえず飛行機に乗ってしまえば後は問題ない。しかし問題は無事に機内まで辿り着けるかだ。
旅行前、K夫妻は毎日娘に国際電話を掛け、飛行機の搭乗手続き、および出入国手続き方法について入念に確認。
チケット入手後は、旅行ガイドを参考に、成田空港へのアクセスから搭乗手続きを行うカウンターの地図まで全て確認。直前まで入念な調査を行った。
かくして夫妻は成田エキスプレスで空港に到着。びっしりと手順の書き込まれた手帳を見ながら、あらかじめ計画されたとおりにカウンターを回り、なんとか機内に辿り着いた。飛行機はもちろん日本語の通じるJAL。
「やれやれ、ここまでくれば一安心だ。あとは降りた空港で娘を見つけるだけだ。」
しかしその先、空港ではもう一つの試練が待ち構えていたのだ。
飛行機を降りると、次は入国審査手続き。
これを行う入国審査官には2つの仕事がある。
一つは入国者のチェック。そしてもう一つは「横柄な態度によりその国を訪れた外国人に不快感を与え、自国のイメージダウンに寄与すること」。
これは人種、宗教、その国の政治体制の如何を問わず、全世界の空港に配属された入国審査官に与えられた共通の仕事である。
K夫妻は二人揃って役人のカウンタの前に進み出た。
事前に手続きを教えた娘も、「入国審査は一人づつ行う。もう一人は手前の線の後で待っていなければならない。」などと言った細かい話までは伝えていなかったのだ。
当然役人は怒る。
「だめだだめだ! 審査は一人づつだ!」
しかし、英語のできないK夫妻には、役人が何を言っているのかチンプンカンプン。
黙ってパスポートを差し出すが、役人は取り合わず、文句を言い続けるのみ。
しばらく膠着状態が続いた後、K氏は隣の妻を指差し、覚束ない英語で、しかし毅然と言い放った。
「マイ・ワイフ!」
このとき米国の役人が何を思ったのかは判らない。しかし事態は収拾された。
「オーケェーイ」
役人は呆れたように両手を上に挙げると、二人の入国スタンプを押した。
その後K夫人は語った。
「やっぱりお父さんが居ると心強いわ。私一人だったら何もできなかった。」
実は一人であれば何も問題なかったわけだし、K氏の態度は頼りになるものでも何でもない。しかし何も判っていない妻には頼りになる夫に見えてしまうらしい。
最近、新婚旅行で頼りにならない旦那に愛想を尽かして成田離婚に陥る新婚夫婦が多いそうだが、とりあえず慌てなければ何とかなるようだ。
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