川下良二の海外事情(11)

by 川下良二

その11 ATTACK ON AMERICA

 2001年9月7日現地時間9時30分、川下はハワイ州ハワイ島、コナ空港へ降り立ちました。
気温は高い(90°F)ものの湿気がなく、さわやかな風が心地よい。今回の目的は、ずばり休暇。
三度程日程の修正をしたもののなんとか決行。
9月12日の帰国予定まで、ワイコロアビレッジでゴルフ三昧にふける予定です。
(仕事で貯めた、マイレージバンクの消化旅行ではありますが)

 ヒルトンホテルのオーバーブックで隣のホテルに移されようが、ダイナース経由で予約したゴルフ 場の予約が入っていまいが、(瞬間、ムッとしましたが)少々のことは気にしない。穏やかに、穏やかに。

 中日、よせば良いのにマウナケヤの天体観測ツアーなどにも参加しました。、日本人だらけの車に乗せられ、7合目まで登りました。途中米国陸軍の訓練場の横を通っていきますが、ツアー ガイド曰く、

「こんなにヘリlコプターが一度に止っている光景は、今まで見たことがない。みなさん ラッキーですよー。」
 普段を知らないがう故、気にも留めず聞き流していました。
(後で、よーく理解できる事件がおこることなど、知る由もなし。明らかに軍の事前警戒です。)

 日本時間9月11日約午後10時、米国東部時間同日午前9時、ハワイ時間同日午前3時「あの事件」 が起きてしまいました。不運にもハワイは真夜中。小生が事件を知ったのは、午前9時。たまたま 米国本社の上司に電話を入れた時のことでした。そういえば、WTCには何度か仕事で訪問したことがありました。「あそこにいた人達はー。」

 事態を把握する為に、テレビをつけ、CNNを食い入るように見つづけ、また、ハワイの空港情報を 得るために、FOXにもチャンネルを合わせました。事態は最悪で、FAAが再発防止案をまとめるまで、一切の航路は開かれない模様。日本から情報を取ろうと、電話を入れてみましたが、米国便がいつ再開されるかまったく目途が立たない様子です。

 米国の一番西の果てながら、やはり米国内。孤島に缶詰状態になったことが判った途端、果てし無い焦燥感に襲われました。「いつになったら日本に帰れるだろー。」

 CNNは、報復攻撃の準備を進めていることを伝え、テロ組織、テロを支援する国家を終結させる と報じていました。  −戦争が始まる。−

 たしか、10年前に似たような経験をしたことがあります。小生が米国駐在のころ、あの「湾岸戦争」がありました。身近なところで、予備役兵として借り出される米国人がいました。至る所で、星条旗が 上げられ、愛国心を高揚させます。地上戦が始まらんとする時、多くの未亡人予備軍が 自家用車に黄色いリボンを付け、夫の無事の帰還を祈りました。
ノースカロライナ州、シャーロット空港には、空軍の基地が隣接しています。まさに出兵せんとする 若い息子を前に、泣き崩れる母親と、それを黙って見つめる父親の姿を目撃しました。一生忘れる ことはできません。

 日本では、「多国籍軍」と訳されていましたが、米国では「連合軍」でした。当時、日本の対応は出遅れ、金だけ支出。海上自衛隊は、終戦後やっとのことペルシャ湾で機雷除去に活躍しました。
ミシガン州でも、何もしない日本に抗議する為、日本人の家が黄色いペンキが塗られたり、 十字架が庭に刺されたことがありました。日本では一切報道されない、迫害です。

 今回は日本は何をするのでしょうか? 平和を祈るだけではゆるされないでしょう。
水、燃料は良いが、弾薬、武器はだめなのでしょうか? 早急な対応は結構。しかし10年間日本 は、何を議論したのでしょうか?

 9月14日朝。帰国する予定日から2日が経ちました。日本航空は、FAAと追加保安項目にサインしたとの情報です。
しかし、臨時便の情報はまったくありません。ホノルルの予約係、発着便案内、に電話をかけてもすべて通じません。
この後、ホノルルの臨時便が飛ぶとの情報がテレビで流れましたが、コナ便はないとのこと。
「日本にいつ帰れるのか?」

 同午前9時半、諦め半分でコナ空港に電話してみました。偶然通じた電話で、臨時便がくることを知らされました。本来11日、12日、13日 に日本へ帰る人たち優先するとのことです。

「すぐに、荷物をまとめて空港に来い。ただ券でもかまわない。」
 どうやら、ローカルの空港だけで運航対応する模様です。

 大急ぎで荷物をまとめ、レンタカーでコナ空港へ。丁度空港へ近づくころ、日本航空のB747が着陸体制に入っていました。
空港のカウンターでは、随分待たされましたが、なんとか、救助便のボーデイングパスを貰うことが出来ました。
(空路は再度閉鎖されるとの情報もこの時流れていました。 ラストフライトの可能性ありとの事でした。)
本当は、座席は上のクラスでしたが、エコノミーでも万、万歳。
キャンセル待ちで50名くらいいましたが、全員乗れるようです。また、ホノルル ワンストップ時、、ホノルルのキャンセル待ち300番の人もセーフ。

-いち早く、情報を入手した人たちだけの早いもの勝ち- 

 こうして、とんでもない(まぬけな)バカンスは、成田に15日夕刻到着することで、ようやく終わらせることができました。
被害=2日分の延泊ホテル代、レンタカー代。社内での冷ややかな目と、気を揉んだ時間のロス。

今回の海外旅行の教訓

  1. 情報 : CNNは、世界でのお友達。また、最新フライト情報は、インターネットで調査すべし。(JAL職員曰く)
  2. 臨時便: たとえどんなに予約を入れようと、無効、空港へ出向いて、並ぶべし。ローカル職員の采配で決定。
  3. 旅行保険: 遅延理由が明確であれば、自動延長。しかし追加発生費用(宿泊代等)は免責。特約を付けても1回三万円のみ。(小松氏談)
  4. 外務省HPの危険度案内:危険度1で十分危ない。(今回は当てはまらず。)       

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