佐世保の電波塔by チャーリー岸田&Friends
[岸田] 一昨年、WINのハウステンボス入港時に見えた佐世保の電波塔に行って来ました。 遠くから見ると、これは電信柱の親分程度にしか見えないのですが、近くで見ると、とてつもなく巨大な塔でした。 電波を送受信するためであれば東京タワーのような鉄塔にすれば良いと思ったのですが、おそらくこの塔が出来た戦争中には、これだけの高さの鉄塔を作る技術が無かったのかも知れません。 この塔は、旧海軍の電波塔で、この塔から発信された暗号電文「ニイタカヤマノボレ」によって、真珠湾攻撃が決行され、太平洋戦争の幕開けとなった訳です。 ここは陸から行くとなかなか大変な場所にあり、国道から外れた人の気配のない草深い農道を進み、「海上保安庁管理地につき立入禁止」の立札を乗越えて、しばらく歩いた所でした。 近くで見ると、歴史の重みに圧倒され、塔のコンクリートの外壁に手を触れるとき、少々ビビりました。 長崎にはやたらと史跡が多く、街中のあらゆる場所に、「××修道院跡地」だとか「日本で始めてバドミントンが行われた場所」だとか、そんな石碑がいくらでもあり、史跡などは全然珍しくありません。岸田の住処の近所にも、「日本で始めて缶詰が作られた場所」なる石碑があります。 しかし、そんな石碑とは違い、多くの人命が失われた戦争の幕開けとなった電波塔の雰囲気は、さすがの岸田でも厳粛な気持ちにならざるを得ない重みを感じさせました。 もし、この塔を近くで見てみたいのであれば、夏は避けた方が良いですよ。塔に辿り着くまでの森の中は蚊の巣窟です。岸田は身体中刺されまくりました。
あの歴史的電波塔、よく覚えてます。 懐かしいですねと言いながら一昨年 去年と連続してみています。 今年も見るんでしょうか?
佐世保の湾を入って行くと最初は小さく見え 段々と大きくなっていく様はすごいですね。 海から眺めたときには、街中の電信柱より少々大きい程度に見えたのですが、近くで見てあまりの大きさに圧倒されました。 この塔に辿り着くまでに散々道に迷い、地元の人や警察官にも聞いたのですが、地元の警察官でさえ、「この道だと思うけど、俺も行ったことがないから判らない。」とのこと。 あれだけの歴史遺跡をジャングルの中で風化させておくのも勿体ない気がします。
ところで添付の写真は、佐世保から長崎に通じる国道202号の道端からの風景。 |