遥かなるコラート(番外編)

by チャーリー岸田

番外編

【トゥクトゥク】

 添付の写真は、タイの一般的なタクシーである「トゥクトゥク」。
 プーケットのトゥクトゥクは、日本製軽トラックの荷台に席を設けたものなのだけど、タイではこの三輪タイプが一般的であるようです。
 不安定な三輪車で飛ばしまくるので、ときどき横転事故などが起きるようです。K先輩。恐かったですよね。あの運転手は。

トゥクトゥク

【黄金】

 コラートのショッピンセンターで、我々は日本へのお土産を選ぼうとした。タイのお土産と言えば「金」である。
 金本体の価格は世界的に差がないはずなのだが、タイでは加工賃が安く、金の産出国なので金製品が何故か安いのだ。

 しかし・・・・・・センスがいまいち。

 K先輩は奥さんへのお土産に金のネックレスを探したのだが、ノーマルな単なる喜平のチェーンがない。皆変に凝ったデザインで、日本に持って帰ったらセンスを疑われるようなものが大半であった。

 添付写真は、何も買わずに記念写真を撮る日本人。そして「金も使わずに写真撮って喜んでるんじゃねえよ。」と、思いながらも笑顔を欠かさないタイ人の店員であった。

店員

【タイ陸軍基地】

 柴ヤンの店の近くにタイ陸軍&空軍基地があるのだが、「この中を通ると近道なんだよ。」などと言いながら、柴ヤンのトラックは基地内を通り抜ける。

 基地にはちゃんと門番が居て、通行証をチェックしているのだが、何故か柴ヤンの車はフリーパスである。

 昔からこの地に住んでいる人や、軍関係の仕事をしている人であれば判るのだが、最近引っ越して来たばかりのあやしい日本人が、どうして基地内を素通りできるのだろう?

 柴ヤンは謎の人物である。

 添付の写真は基地内。トラックの荷台から撮影。
 タイ軍の基地はやたらとのどかで公園みたいだった。

 King'sCupに参加したメンバーは、タイ海軍があまり緊張感のない人の良い連中ばかりだったのを覚えているだろうが、陸軍や空軍も似たような感じらしい。

基地

【タイのプリクラ】

 コラートのショッピング・ゼンターにプリクラがあった。俺達4人(K先輩、岸田、柴ヤン、柴ヤンの奥さん)は旅の記念にプリクラを撮ることにした。

 ところが、タイのプリクラは日本とは仕組の違うものであった。

<タイのプリクラ作成手順>

  • スタジオに案内され、カメラマンがNikonのデジカメで何枚かの写真を撮る。
  • 撮った写真をパソコンに表示し、客がその中からプリントするものを選ぶ。
  • 写真をプリントする。
  • プリントした写真をパウチする。
  • それを店の従業員がカッターで1枚1枚カットする。
 この間約30分。店の従業員は5人。これで採算が合うのだろうか? 合うのだろうな、きっと。

 添付の写真は、この店のカメラマン。身長約140cm。年齢不明。タイの安達ユミかと思った。

プリクラの店員

【最後の晩餐】

 帰国の飛行機は深夜0時頃の出発。日本到着は翌日の早朝となる。我々はタイでの最後の晩餐のため空港の食堂に向かった。

 この食堂は主に従業員の使用する場所であるため、20〜30バーツもあれば十分な場所だ。しかし我々にはバーツが余っていた。バンコク到着時に我々は各々3万円づつバーツに換えていたのだが、この旅行の間にそれを使い切れなかったのだ。

 我々は100バーツづつの食券を買った。買い過ぎだとは思ったが、これで目に付いた物を片っ端から注文して、余ったら残せば良いと言う考えだ。

「食べ物を粗末にするのはいけないことだ。」
 そう言う考えは、昔から常に飢えと戦って来た日本やヨーロッパなどの寒い国における道徳観である。飢えを知らない国にはそんなモラルは存在しない。おなかが一杯になったら残せば良いのだ。

 タイと言う国には、日本のように「食えなくて娘を子守奉公に出した(おしん)」とか、「娘を女衒に売らなければ家族が生きて行けなかった」などと言う歴史は存在しない。豊穣の地なのだ。

 我々はテーブルに合計200バーツ分の皿を並べ、ガツガツと食べ始めた。

チャーリー氏
K先輩 「ああ、食った食った。」
岸田 「もう十分です。」
K先輩 「でも、あのコラートのショッピングセンターで食べた肉のカリカリした料理(名前は不明)、あれをもう一度食べたかったな。」
岸田 「えっ。あれならありましたよ。左側の奥から2番目の店に置いてましたよ。」
K先輩 「えっ? 本当か?」

 K先輩は、また食券を買いに行った。もう食えないはずではなかったのか?
 当然岸田も食券を追加した。

 第二ラウンドが終了すると、我々の前に積まれた皿は全て空であった。日本で育った我々には、食べ物を残すことができなかったのだ。いやそれだけではない。あまりにもタイの食べ物が美味かったのだ。

岸田 「そろそろ行きましょうか。」
K先輩 「おう。」
 我々は食べ過ぎでフラフラになりながら出国窓口へと向かった。

 飛行機が飛び立つと、いきなり機内食が出て来た。深夜の0時過ぎである。

K先輩 「こんな時間に飯かよう。」
岸田 「さすがにもう食えないっす。」
 散々美味いものを腹いっぱい食って来た我々には、機内食などもう眼中にない。

 しかし、一応配られた機内食に被せられたアルミホイルをめくってみると、そこにはタイ料理の香りが・・・・・・
 我々がその機内食をも残さず食べたことは言うまでもない。

おわり

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