KENWOOD CUP 1996 (vol.6)byショーケン
8/13 第9レースは390マイルの”カウラレース”。オアフ島の東端をぐるっと回って北上、オアフ島を離れると西へ、カウラロックを回ってカウアイ島の北側を通り、オアフ島のホノルル沖へ帰ってくるレースだ。朝早くから荷物の積み込みを開始する。スタートが12:15なので、結構時間を持て余した。
「木塚さん、プラム取って」そう言い残して木塚氏はキャビンに消えた。 しばらくして、木塚氏が顔を出した 「これかっ!!プラム!!」木塚氏の手に握られていたのは、クラッカーか何かのお菓子の箱だった。 「木塚さん、プラムってすもものことですよ!す、も、も!」一同、大笑い。そうしている間に、オアフ島先端が近づいてきた。大きな風車がたくさん見える。風力発電所だ。ああいうのを見ると「外国に来たんだなあ」とつくづく思う。 オアフ島先端を過ぎたのは17時頃。そのままスピンで時々ジャイブを入れながら走る。18時からワッチに入る。Aチームは萩原・下村・五十嵐・竹内・後藤、Bチームは横田・新美・柴木・木塚・小松である。Aチームからスタートして3時間ワッチ。Aチームは黙々とセイリングする。後藤ヘルムスマンは「俺はこれだけでええ」とタバコを吸うだけで、食料はほとんど口にしていない。一方、Bチームは賑やか。食料買い出しチームの2人がいるせいか、かなりの食料が消費される。夜中にスピンがフォアステイにからんだので下ろし、再ホイスト時に0.75OZにチェンジした。 昼前頃、カウラロックに到達した。本当に単なる岩である。レースに出ない限り見ることはないだろう。カウラロックを回るとスピンがはれなくなるので、No.3ジブをホイスト。アビームで走る。そのままニイハウ島付近まで走る。夕方近くにニイハウ島が近くに見える位置まで来た。風が落ちたのでNo.2にチェンジする。このとき、No.2のセイルバッグを流してしまった。(オーナー、ゴメンナサイ!)うしろで、”さよなら”なんかがこれを拾ったら我々は失格だ。(んなわけないか) ニイハウ島を抜けるところで、ブランケットがあり、いろいろな艇が止まっているのが見えた。我々もNo.1ヘビーにチェンジする。 「あの黒いメインの模様、”さよなら”か?」しかし、我々付近も風が落ちてくる。ヘッドセイルをライトにチェンジ。ついに下ハイクして艇をヒールさせなければならない状態になった。 「スピンがはれるんじゃねーか?」と0.6をホイストしてみたり、色々とやってみるが苦しい。リベルテのような40フィート以上の艇やMUMM36も近くにいて苦戦している。こういう状態が1、2時間続く。 夕方近くになり、風が少しづつ入り、艇が走り出した。0.6ozのスピンで走る。風が上がってくると同時にスピンがはれなくなったので、No.2をホイスト。そのまま順調にカウアイ島北側を目指す。夜になると風はさらに上がり、No.3にチェンジ。それでもヒールがきつくなったので、メインをリーフする。結構大変だ。
「あの岬を過ぎたら、スピンが上がるぞ」0.75ozのスピンをセットする。 「お、風が少し後ろに回った!スピンホイスト!!」スピンをホイストし、スピンに風が入ると、艇がガクンとヒールし、狂ったように走り始める。バウチームは大はしゃぎ。 「ヒャッホー!!」ところが、後ろから声が。 「スピンダウンだ!急げ!!」スピンを回収して、No.2をホイストする。スピンをコントロールできない状態だったらしい。 ココヘッドをまわると、フィニッシュまであとわずかだ。 ホノルルの夜景が見えてきた。その美しさは言葉では表現できない。 「ショーケン、あの夜景をバックに写真撮ってやるよ」新美さんが写真を撮ってくれた。 「これがうまく写ったら、100万ドルだぜ」出来上がった写真の俺のバックは、街の明りがわずかに写っていて、蛍のようだった。 22時過ぎ、フィニッシュ。これでKENWOOD CUPの全てのレースが終わった。何とか無事完走することが出来た。
「マイタイだぜ」一口飲んだだけで、めまいがしてきた。酔いがまわると共に、無事終わったという安心感と、かつて味わったことのない充実感に満たされた。最高の気分だ。 堀田オーナー、すばらしいチャンスを与えて下さって本当にありがとうございます。
おわり |