三島カップ (Vol.1)
byチャーリー岸田
- 硫黄島 -
三島村は鹿児島の南方30海里の沖合に浮かぶ[硫黄島][竹島][黒島]3つの島から成る村。一番大きな[硫黄島(いおうじま)](小笠原諸島の[硫黄島(いおうとう)]ではない)でさえ人口150人。人間の数よりも野生の孔雀の方が多い。
硫黄島は海から突き出した火山の島で、ここが日本かと目を疑うような奇岩の島。火山からは常時硫黄が吹き出し、島周辺の海水は硫黄でオレンジ色。とても人間の住むところとは思えない。
硫黄島には商店が3軒、いずれも小さな雑貨屋のみ。公共交通機関は皆無。バスもタクシーもない。村営フェリーで車を運ぶことも可能だが、島の漁港では、クレーンでぶら下げなければ車の積み下ろしができないので、あまり現実的な方法ではない。ちなみにこのフェリーは3日に1本。
温泉はいくらでも出るが水がない。生活用水は雨水に頼り、それで足りなければフェリーで運ぶしかない。島には2本の川があるが、この川には年間を通じて水がない。火山が噴火したときに土石流を流すための川だ。
この村の村長が、地域振興策として考え出した作戦が、[三島カップヨットレース]。ヨットレースを通じて島に人を呼ぼうと言う作戦だ。
レース実行委員長はこの村長。3つの島の島民全員参加でこのレースをサポートする。
鹿児島市内の三島村村役場(島では行政ができないので、村役場は九州本島の鹿児島市内にある)には、三島カップのでかい看板が掲げられ、島民のこのレースに掛ける意気込みが窺える。
1999年7月31日午前6時。鹿児島は薩摩半島の最南端、[山川]沖をスタート。第9回三島カップの参加艇50艇は、夜明けの海を南方30海里の硫黄島目指して走りはじめた。
タイムリミットは午後3時。夕方6時から表彰式&パーティー。例年であれば、この季節のこの海域はベタ凪。タイムリミットに間に合わず、途中でエンジンを掛ける艇が続出するのだが、今年は台風7号の影響で、20ノットオーバーの強風。レース艇はアビームの風を受け、8〜9ノットのスピードで絶好調の走りを続けた。
遅れて午前9時、村営フェリーが鹿児島を出港。乗っているのはレース参加艇クルーの家族、鹿児島からレース運営に参加する村役場のスタッフ、このパーティーのために鹿児島から帰省する三島村出身者、その他地域振興策を視察に来た国土庁の役人や余興に参加する芸能人などなど。
このフェリーはレースを観戦しながら竹島、黒島に寄り、この2つの島の島民を乗せて硫黄島大集合の足となる。
絶好調の風を受けて、俺たちは午前中に硫黄島に到着。フェリーよりも先に到着してしまった。
漁港のポンド内は硫黄でオレンジ色。アンカーラインもオレンジ色に染まる。水中視界はゼロ。島の漁船は全てレース艇を迎えるために陸に揚げられ、小さなポンドはヨットで埋まる。
上陸すると、岸壁には島中の車両が大集合。錆だらけの軽トラックにはガムテープで紙が貼ってある。[観光車1号]。上陸した我々を、車を持っている島民が手分けして無料で島を案内するわけだ。
我々を乗せた軽ワゴンを運転していた島民のおじさんの人の良いこと。底抜けに明るく、あくまでもお人好し。
「あのう、この車、定員オーバーじゃないんですか?」
「大丈夫。おまわりはフェリーが着くまで島に居ねえ。それまで何やらかそうが捕まりゃしねえ。」
この島には駐在所さえなく、今回はこのレースのために鹿児島から警察官が派遣されて来るそうだ。
車は固まった溶岩の転がるデコボコ道を走る。南洋植物の森の中から野生の孔雀が飛び出す。この島では数百メートル走れば必ず孔雀を見られる。
最初に案内された場所は海岸の温泉。モクモクと硫黄を吹き出す山の直下。オレンジ色の崖がそびえ立ち、あたり一面、固まった溶岩。日本のどの地方の温泉とも似ていない。まるで子供の頃に見た地獄絵図そのままだ。温泉の湯が赤ければ、ほとんど地獄の血の海。
<温泉の湯温調節方法>
お湯がぬるい場合:
岩を動かして浴槽のお湯を海に流す。すると自動的に湧き出した熱湯が流れ込んで来る。
お湯が熱過ぎる場合:
対処方法なし。
温泉を出て、島内の世の常ならざる景色を見回ったあと、島の公民館の風呂で塩と硫黄を流す。強すぎる硫黄の成分で身体はベタベタだ。
しかし、公民館の公衆浴場も当然温泉。真水の水道はチョロチョロとしか出ない。この島では真水が一番の贅沢品だ。
岸壁にはフェリーが到着し、小型のレース艇も続々と入港。島の人口が、この日だけは通常の数倍に膨れ上がる。
島内には、祭りに向けた熱気が充満しつつあった。
つづく
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