ベトナム紀行
チャーリー岸田

その1 - ベトナム人

「ベトナムは東南アジアではありません。」

 これが以前の職場の近辺に在るベトナム料理店の店長の話であった。この店長は長くベトナムに住んでおり、奥さんもベトナム人。以前はベトナムで食堂を経営していたのだが、子供が就学年齢に達したので、日本で教育を受けさせようと家族を連れて帰国したのだ。

岸田 「でも、場所は東南アジアの真っ只中ではありませんか?」
店長 「ところが周りの東南アジア諸国とは全然違うんです。勤勉なんです。」

 ベトナム人が勤勉であると言う話は聞いていたのだが、それがどのようなものであるのか岸田には全然想像できなかった。

 そして今回、アジア雑貨店の買出ツアーに便乗させてもらいベトナムのホーチミンを訪れることになった。メンバーは雑貨店の専務と岸田。そして社長が事前に現地に行って買出しを始めている。往路の飛行機の中で専務が語り始めた。

専務 「ベトナム人ってのは真面目なんだ。現地の工場に注文すると、ちゃんとこちらが指示した仕様どおりに作って来るし、おまけにちゃんと期日まで守って出来上がって来るんだぜ。」
岸田 「納期を守るのか!」
専務 「そうなんだ。こんなことタイやラオスじゃあ絶対に考えられないよ。」

 歴史の本によると、ベトナム人の大部分を占める『キン族』は、そのルーツが中国南部にあるらしい。東南アジア諸国に住むマレー系の人種ではなく、その昔膨張する漢民族に中国南部から追われて現在のマレー半島東部に逃れて来た人々の子孫であるのだそうだ。
 また、フランスの植民地となる前は文字も漢字を使っていたのだそうだ。『ベトナム』は『越南』と書き、現在の人々の名前も『Hung(フン)』とか『Tran(チャン)』などそのまま漢字に置き換えられるような名前ばかりである。
 空港を出ると、ホーチミンの街を歩く人々の顔は、タイやフィリピンで頻繁に見かける華僑の顔であった。つまり外見から見ればシンガポールのような華僑の国と言う印象を受ける。

 ホーチミンの街を歩いてまず最初に圧倒されるのは、あまりにも膨大なオートバイの数。大通にはオートバイ専用の車線が設けられ、その中では道に溢れるほどのオートバイが走り回っている。路地裏では人と車とオートバイが入り混ざって物凄い騒ぎになっている。
 一般に東南アジアではオートバイを良く見掛けるのだが、ベトナムのそれはバンコクやマニラの比ではない。毎回料金を払ってトゥクトゥクやジープニーのような乗合車に乗るよりも、自分でオートバイを運転した方が経済的であるし時間的な効率も良いのだ。そのため勤勉なベトナム人は男も女も若者も老人も皆オートバイを運転して走り回っている。
 問題は我々歩行者の道路横断である。大通りにも信号の少ないこの街では、オートバイの疾走する広い道路を横切らなければどこにも行けないのだ。道路の横断が毎回命懸けなのだが、横断しなければ買出しにも行けない。俺たちは毎回勝負を掛ける気持ちで道路を渡り市場や問屋街を渡り歩いた。
 この街の建物の外観や室内様式などは、フランス統治時代のフランス様式と中国様式の入り混じったコロニアルでエキゾチックなものが多かった。この国の歴史を感じさせる。パリのオペラ座とそっくりな劇場があり、ホテルの家具は中国調。今回の買出しの目的であるベトナム民芸品も、その昔フランスから伝わった西洋風の刺繍など、アジアと西欧が融合した独特の雰囲気を醸し出している。今までに訪れた他のアジア諸国とはまるで異なる雰囲気に満ちていた。

市民劇場

ホテルコンチネンタル


つづく


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