ベトナム紀行
チャーリー岸田

その2 - 市場

 そして我々はホーチミン市内の市場に乗り込んだ。
 この市場は広大な建物の中に間口一間程度の小さい問屋がひしめき合っている。我々が目的としている雑貨や小物だけでなく、衣類や食器などの日用品、肉や野菜、つまり何でも揃うのだ。一つの街のような広大な空間が熱い熱気に満ちていた。

ホーチミンの市場

 ここは基本的に小売店の人々が仕入を行う場所なので外国語が通じない。街の小売店であれば英語を話す店員が居たり、時にはカタコトの日本語を話す店員が居る場合もある。しかし問屋は地元の業者相手の商売が基本なので外国語を話す必要がないのだ。この点が今回同行した小規模業者のメリットになる。英語が通じる場所であれば、大手の業者が入り込んで来てスケールメリットを生かして零細業者を駆逐してしまうだろう。
 ・・・とは言っても、この雑貨店のメンバーが流暢なベトナム語を話せる訳でもない。それなりの勉強はしているようなのだが、何しろベトナム語は難しい。発音が複雑で、カタカナで書かれた単語帳の表記をそのまま発音しても全然通じないのだ。

 発音が難しいと言われている中国語の場合、『四声』と言って4種類の発音がある。この発音を使い分けないと絶対に通じない。
 タイ語の場合は5種類の発音。これが難しくて5年近くもタイに住んでいる柴ヤンでさえ日常会話に難儀している状態である。
 ところがベトナム語は6種類の発音である! これを完全に使い分けるのは非常に難しい。ベトナム語のテキストを読んで頭で理解しても、それだけでは通じないのだ。

 ここで社長は電卓を手に問屋と交渉を始めた。

社長 「このバッグを100個。この金額で。」
問屋 「これは手間の掛かる製品ね。その金額では無理。」
社長 「でも100個買うんだ。何とかならないか?」

 身振り手振りである。お金や数量の話であれば身振り手振りと電卓で何とかなる。しかし、

「このデザインで、色をあれと同じで〜。」
とか、

「もう少し薄い色で染めて欲しいのだが〜。」
 〜などと言う複雑な話になると大変な騒ぎである。『指差し会話帳』を手に汗だくになって交渉を続けている。また価格の交渉も楽ではない。ベトナム人には『定価』と言う概念が無く、全てが交渉で決まってしまうのだ。なにしろ相手は戦争でアメリカに勝った唯一の国の人々である。交渉も並大抵のものではない。

 そんな社長を尻目に、岸田は市場の中を見物して歩いていた。広大な市場には日本のアジア雑貨店には置いていない数多くの珍しい物が溢れているのだ。

市場の娘さん
岸田 「社長! あれを持って行けば売れますよ! デザインがお洒落です。それに安いですよ。」
社長 「あれは駄目なんだ。輸送コストや関税を計算すると、日本では××円で売らなければ元が取れないんだ。その値段ではお客さんは買わないだろう?」

 なるほど。これだけの商品が溢れていながら、輸入して商売になるのはその中の一部だけ。プロの世界はなかなか難しいものだ。個人的にお土産として買う分には問題ないのだが・・・・・・。
 社長と問屋の交渉は続いている。

社長 「この色のバッグを100個。」
問屋 「この色は48個しか置いてないよ。でも他の色であればもっとあるよ。」
社長 「あの色は駄目。この色でなければ買わない。」
岸田 「でも社長。あの色もなかなか良いじゃないですか?」
社長 「このバッグの場合は日本では50代以上の中高年のオバチャンが対象なんだ。日本の中高年の女性は、あの色を選ばないんだな。」

 なるほど。自分のセンスで良いと思うものが必ずしも売れるとは限らない。エンドユーザの趣味や嗜好を理解していないと商売はできないようだ。そこが素人とプロの商売人の違いなのだろう。

問屋 「この色100個。3日後ならば揃えられるね。3日後に来て欲しい。」
社長 「我々は明日の夜に帰るんだ。明日の昼にまた来るから、それまでに100個は無理でも揃えられるだけの数を集めてくれないか?」
問屋 「判った。それなら明日の午後2時までに100個揃えるよ。」

 その製品は複雑な手仕事の刺繍の入った製品である。今から作っても間に合うはずがない。

社長 「あの問屋は大丈夫だ。明日来れば100個揃ってるよ。」
岸田 「無理じゃないですか? あれはどう考えても時間が掛かりますよ。それに今日は土曜日だし工場は休みでしょう。」
社長 「いや、きっと大丈夫。」

 実はこの問屋は、家内工業の製造者の家族がやっている場合が多い。家族一同が自宅で製造し、その家族の奥さんや娘さんが問屋で製品を売っているのだ。『明日までに100個』などと言われた場合、その家族は今夜徹夜作業になるのかも知れない。それでもベトナム人は商機を逃さないのだ。凄い連中だ。

 と、そんな熱気溢れる市場の中に、卒業旅行でやって来たような日本の女子大生の集団がちらほら見える。この連中もプロの業者に混ざって電卓を片手に、現地の問屋を相手に丁々発止の交渉を続けている。また別の店では、団体旅行でやって来た日本のオバチャンの集団が、言葉も判らないのに値切り倒し、相手の業者を圧倒している。なんと凄い連中だ。日本の女性もなかなかやるではないか。東南アジアの女性は逞しいが、日本の女もなかなかのものだ。



つづく


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