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川下良二の海外事情(2)
by 川下良二
その2「台湾・台南編」
-世界一早いバッゲジクレーム?-

 小職は度々台湾を訪れる機会がありました。ご承知のように、台湾は旧大日本帝国の統治国でした。太平洋戦争前は、日本の国家予算を圧迫するほど予算をつぎ込み、道路、学校、病院を建設し、近代化に寄与しました。蒋介石が台湾に逃げ込んだ後も、大陸を意識し、対日感情は抜群によいと言われるお国柄です。

 台湾との正式な国交がなくとも、多くの日本人が訪れ、芸能人がコンサートをよく開き、民間ベースで国交があることが、最近の台中大地震の日本の対応でもよくわかります。先日、5年パスポートの切り替えにいってきました。徐に、出国スタンプの数を数えますと、過去5年間の出国数は30回、年6回、2ヶ月に1回のハイペースです。遊びでいったのは、96年のKENWOODCUPのみで、後は社費で、飛び回っていました。

 1995年のある日、小職は日本から同行したお客さんと台南へ飛行機で行くことになりました。
台湾総選挙中、中国が過剰反応し軍事演習した以前のことでした。
台北市内の松山空港(日本が戦前に建設)から台南までほぼ一時間だったと思います。台南は

  1. 400年以上の昔、南蛮人がオランダから長崎の出島へ航海した際の、最後の寄港地。
    よって長崎でみかける(あるいは、ハウステンボス)絵画、食器、などが資料館に残されている。
  2. 旧日本海軍の台南航空隊があり、まだ多くの建物が健在。
    (台南航空隊は後、有名なラバウル航空隊となり転出)

などの前知識がありました。


 台南空港に降りる寸前に異様な光景を目にしました。滑走路と平行に対空機銃が配備され、兵隊が整備しているではないですか。降りてビックリ、戦闘機が小山のような屋根の下に隠されてあったり、空から見れば、戦闘機に見える張りぼてがいたるところに配置してありました。


 そう、台南空港とは、中華民国の空軍基地だったのです。当然ですが、ゲートなどはなく、俗に言う「沖止め」駐機。隣に駐機してある機体はぜーんぶ経国戦闘機、(台湾は国産と言っているが、実はF16をベースとしたハイブリッド)、すぐ隣の機では、整備員が対空ミサイルを装着していました。


 バスを待つこと5分。軍用バスが迎えにきました。客室乗務員は降り立つことをゆるされず、代わりに完全武装した歩哨がタラップの下で待ち構えていました。
警備が厳しく、いたるところに歩哨がたっており、我々を監視しているようです。
バスに揺られ2分ほどで出口に到着。預けたカバンはもう出口に並べてありました。
「こりゃまた、早い。」と関心している暇もなく、歩哨が後ろから乗客を小突き、早く出て行けと催促しす。
出口から出されると、ガラガラとシャターが降りてきて、門は閉ざされてしまいました。
世界一とはいえなくもない、バッゲジクレームの短さでした。


 後でわかりましたが、度重なる大陸からの航空機の飛来に対応して台南基地からスクランブル発進するとのことです。日本ではあまり知られていませんが、極度の軍事的緊張がこの地域に存在していました。台南とは、敵地に立ち向かう最前線だったのです。
それにしても、小国ながら国民皆兵令をしき、大国の圧力に屈しない台湾は、やはり立派です。


 帰りの間際に台湾海峡を見る機会がありました。たそがれた感はありますが、その先にある国からミサイルが飛ぶこともなく、侵略戦争がないことを心から祈りました。

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