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東京ボートショー報告
by チャーリー岸田

 皆に「止めとけ」と、言われながらも、岸田は10年振りに「東京ボートショー」に行って来た。

 わざわざ何時間も電車に乗ってまで出掛ける価値のあるものではないが、現在岸田は幕張近郊に住んでいるの で、幕張メッセまで自転車で15分の距離なのだ。
 ここで地方の人には、「どうして『止めとけ』なのか?」と、質問が出そうなので。東京ボートショーの歴史 を振り返ってみよう。

■バブルの時代(1980年代)

 会場には、スウェーデン王室御用達の2億円のクルーザーを初め、最新のヨット/モーターボートが並び、マ リンレジャー関係者には貴重な情報収集の場所であった。また、水着のコンパニオンが闊歩し、会場は浮かれた 雰囲気に包まれていた。

■バブル崩壊後(1990年代前半)

 バブルの崩壊とともにマリン業界は破綻一歩手前まで追い込まれた。ボートショーに出展する業者が減り、 ブースが埋まらなくては赤字になってしまう。そこでボートショー運営側は、なりふり構わず訳の判らない業者 を入れた。
 『ボートショー』と名の付くイベントであるにも係わらず、カリフォルニアワインの試飲販売会、ペルシャ絨 毯の安売り、骨董品の壺の業者、古着屋・・・、その他マリン業界とは全く関係のない出展が多くを占めるよう になった。海関係では見るべきものが何も無くなった。

■そして誰も居なくなった(1990年代後半)

 衰退の一途を辿るマリン業界で、少しだけ元気のあった業者は、YAMAHA、SUZUKI、HONDAなどのメーカー。  これらのメーカーは、マリン業だけではなく、むしろその他の業種が中心なので、何とか糊口を凌ぐことがで きていたのだ。
 これらの業者のブースには、海とは何の関係もないオートバイなどが並び、隅の方に言い訳程度に水上バイク などが展示されていた。
 このときに、東京ボートショーで一番人気のあったイベントが、「電動アシスト自転車『ラクーン』の試乗 会」。ボートショーでも何でも無くなっていた。
 既にこのときには、ヨット乗りでボートショーを訪れる人は居なくなり、『ラクーン試乗会』に並んでいたの は、見学者ではなく『暇を持て余した他のブースの出展者』と言う状況になっていた。
 このときマリン業界に居た柴ヤンからは、「ラクーンはなかなか良かった」と言うメールが来て、その後柴ヤ ンはこの業界に見切りを付けタイに逃亡した。


 ・・・・・・そして2004年。


 岸田が見たところ、『ラクーン試乗会』のようなメールネタになるような『トホホ系』の特記事項はなく、安 値安定の地味なイベントとして、今年のボートショーは行われていた。
 モーターボートのオーナーが、淡々と魚群探知機の説明を聞いていたり、地味な業界の見本市の様相を呈して いた。マリンレジャーと無縁の人が華やかな雰囲気を楽しみに来るような傾向は一切無くなっている。ここで岸 田は思った。

「もしかしたら、ボートショーとは昔からこんな地味なイベントではなかったのか? 1980年代のあの騒ぎ は、夢を見ていたのではないのか?」

 華やかさは無くなっても、シーボニアのブースでは、夢の島マリーナにボートを置いているオーナーが船を置 く相談をしていた。昔に比べてヨット/モーターボートの数が減り、バースの値段も下がり、昔は三崎に船を置 くことができなかったオーナーが、東京湾の奥から三崎に船を置き換えることができるようになったのだ。
 シーボニアスタッフの話では、

「世代交代が進んでいますね。去年1年間で、撤去された船が40艇。そして他から移動して来た艇が50艇。 2000年頃は最低でしたけど、最近序々に商売になって来ましたよ。」

 〜との話であった。

 今年の東京ボートショーは、同時期に同じ幕張メッセ内で『東京釣り博』が行われていた。ボートショーの入 場者の約半数が、『東京釣り博』の紙袋を持っている。

業者 「『釣り博』で、ボートショーのただ券を配っているんですよ。」

 なるほど。入場者の多くが釣りマニアで、釣り博に来た帰りに、ついでにボートショーを見ていたのだ。
 ボートショーの入場者は、そこそこの人数が居たのだが、何故か入場券売り場に行列はない。窓口のおねえさ んはあくびをしていた。

業者 「ボートショーも相当なただ券を配ってますからね。お金を払って観に来ている人なんて、2割も居ないん じゃないですか。」

 まだまだマリン業界も厳しいようである。


<その他いろいろ>

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以上

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