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ビエンチャン紀行
by チャーリー岸田
 
その4「ロード・オブ・ザ・栓抜」

 地球上には栓抜の無い国が存在する。瓶ビールが無い訳ではない。その国の人々は皆、色々な方法で栓抜を使わずに瓶の蓋を開けるのだが、不慣れな日本人が真似をすると指を怪我する可能性がある。そこで通常は十徳ナイフの栓抜などを使うのだが、国によっては飛行機の手荷物に預けることが危険な場合もあり、機内持込できないナイフを持って行く訳にも行かない。どうしても小型の栓抜が必要である。

 その昔は、近所の酒屋に行けば「キリンレモン」などの刻印のある小型の栓抜をくれたのだが、近所の酒屋に聞いたところ、最近ではそのような販促グッズは無いようだ。デパートで栓抜を探すと、色々な機能のついたでかいものしか置いていない。なかなか丁度良いものは手に入り難い。

 ラオスのガイドブックにそれはあった。ラオスビールの工場でしか買えない「ラオスビール栓抜」。これだ!

 この栓抜は、ビエンチャンの街中でも買えないのだそうだ。アジアの奥地ラオスの中の一箇所でしか買えない超レア・グッズ。これには心が動かされる。この日はこの栓抜を手に入れるため、トゥクトゥクを雇ってラオスビール工場へと向かった。

 ラオスの第一の産業は農業である。その他これと言った産業は無い。そんな中で数少ない景気の良い産業が「ラオスビール」だ。ラオスビール工場は国家の威信を示す格好の観光施設となっているようだ。

 ビエンチャンの市街地を離れると、早くも道路は土になった。舗装されているのは街中のほんの僅かなエリアだけであるようだ。そして人の数、建物の数が一気に減った。

 デコボコ道を飛び跳ねるように進むトゥクトゥク。両手でしっかりつかまっていなっければ振り落とされそうだ。砂埃を被り続け、筆者の顔は「砂漠の狐 ロンメル将軍」になっている。その苦行に耐えて約45分。目的のラオスビール工場に着いた。この日の見学者は筆者1人だけ。案内のおねえさんと、マン・ツー・マンで工場を案内される。ラオス人が誇りとするほどの近代的な工場なのだが、これがどの程度近代的なのか? 専門知識の無い筆者には判らない。日本のビール工場の関係者が見たらどう思うのだろうか? 「ラオスもなかなかやるなあ」と思うのだろうか? それとも「未だにこんな前時代的な方法で作っているのか!」と、思うのだろうか?

 工場見学の後、ノベルティグッズの購入。目的の栓抜を買うと、案内のおねえさんが、カレンダーだのステッカーだのを色々くれた(写真はカレンダーと栓抜き)。大変な思いをしてここまで来た甲斐があった。

カレンダーと栓抜


 さて、首都の街中を遠く離れ折角ここまで来たのだから、この近辺の名所旧跡も見物して行きたい。ガイドブックによると、こちら方面にはいくつかの観光スポットがあるようだ。

岸田 「国境の橋まで行ってくれないか?」
運転手 「オーケイ。それならあと200バーツだ。」
岸田 「高いっ! あと100バーツにしてくれ。」

 しかし運転手はなかなか譲らない。人口の少ないこの国では、首都を離れるとなかなかトゥクトゥクが見つからない。料金交渉がまとまらない場合でも、すぐに別の車に乗り換えることは困難だ。売り手市場である。時間の無い旅行者にしてみれば、時間を有効に使うには運転手の言い値で話を着けるしかないのだ。

 また砂埃にまみれて走ること数十分。メコン川に掛かる「友好橋」についた。橋のこちら側はラオス。向こう側はタイだ。

 川の両岸の土手の外側に各々の国の入出国管理事務所がある。そしてその両国のイミグレーションの間、つまり無国籍地帯に、歩行者は土手から入ることができる。橋の真ん中に仕切りがあって、歩行者がそのまま歩いて越境することはできないのだが、陸の国境を見物するのも面白そうだ。

 役人はビーチパラソルの下に机を置き、そこで歩行者から料金を取っている。写真の役人はまるで中国の人民解放軍のような制服を着ているが兵隊ではない。ラオスは社会主義国なので、役人は皆このような物々しい肩章付きの制服を着ているのだ。この役人2名は、観光客が来ないときは木陰に張ったハンモックで居眠りしている。

友好橋_役人

岸田 「料金は?」
役人 「5000キップ(約50円)だ。」
岸田 「ドルかバーツで払いたいのだが。」
役人 「5000キップだ。」

 困った。実は筆者はこの国に来てラオスの通貨「キップ」に両替していないのだ。

 日本やタイなど大国の国民には判り難いことだが、通貨の信用が不安定な国の人々は、自国通貨を全然信用していない場合が多い。ラオスでも現地通貨の「キップ」よりもタイバーツや米ドルの方が喜ばれるのだ。そのため筆者はタイバーツと米ドルだけで旅を続けていたのだが、さすがに役人には融通が効かない。しかしせっかくここまで来て目的の橋を歩かずに帰る訳にも行かない。

 そこでこちらは100バーツ札を出した。日本円で約350円。ワイロである。約50円の通行料のところに350円払えば、役人はその差額を着服できるのだ。東南アジアでは大体これで何とかなる。

 しかし役人は首を縦に振らない。何だかんだと言って来るのだが、ラオス語なのでこちらにはチンプンカンプンだ。

 そうか。100バーツでは足りないか。なんと言うがめつい連中だ。しかしやつらの言うがままに値を吊り上げて行ったらキリが無い。

岸田 「100バーツだ! 釣りは要らん! これで何とかしてくれ!」

 しかし役人はまだ、あーだこーだと言って来る。

 そこにここまで岸田を乗せて来たトゥクトゥクの運転手が登場。我々の間に入った。

運転手 「この役人は20バーツと言っている」
岸田 「えっ? 20バーツ?」

 20バーツであれば約70円。正規料金の5000キップとほぼ同じである。

 実はこの役人たちは、ワイロが欲しい訳ではなく、岸田がいきなり100バーツ札を出したので、「そんな大金を出されても釣銭がない」と、困っていたのだ。何と言う素朴な役人たちだ。

 役人に20バーツを渡し、そのまま土手を登った。

 歩道には他の人間は居なかった。車道の方は、時々国境を越えて物資を運ぶトラックが行き来するが、歩道を歩く人は誰も居ない。この橋の歩道は中間点までしか行けないため、両国の交通や輸送のためには使えない。歩道を歩くのは観光客だけなのだ。実はこれもラオス名物「観光客が自分しか居ない観光地」のひとつのようだ。

 写真は橋の中間点。この看板の向こう側はタイ国。だけどタイ側にも人は居ない。平和である。タイ・ラオス国境では全く見張りも居ないし、この看板を乗り越えて向こうに行ってもおそらく銃で撃たれたりすることは無いだろう。地球上にはもっと緊張感に満ちた国境があるが、ここでは「脱タイ者」とか「脱ラオ者」などは皆無のようだ。

友好橋_国境



つづく


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